やっと

2014/02/21 (金)  カテゴリー/わたくしごと

前回、重~~い記事にもかかわらず、
たくさんの拍手や、温かいコメントを下さったりと
皆様、本当にありがとうございました。

母の回復も順調のようで、明日からは五分粥が食べられるそうです。
1週間で五分粥……。
大きな手術だったのに、まるで盲腸と同じような回復に
医療の進歩と、母の頑張る姿に驚くばかりです。

ガンという病気の性質上、退院しても再発の不安はついてくるんですけどね。

まぁ、今はそんなことを考えず
退院を目指してがんばっている母を応援したいと思います。


東京に戻ってきた翌17日。
週末、娘の体調があまりよくないよ…と夫から連絡もらっていたのですが
案の定、病院でインフルエンザとの診断を下されました。
娘からは、学校のクラスでインフルの子達に囲まれた席だからね
と、熱が下がってから聞き、そりゃ仕方ないわと……。
登校許可がおり、今日から学校にも復活しました。

やっと私もゆっくり落ち着ける感じです。
しかし、今日も21時近くまで残業だった~
マジ、疲れました。
明日も、娘の授業参観で早起きなんですよね~。
はぁ~、ゆっくり温泉でも行きたい~


長々とワタクシゴト

2014/02/17 (月)  カテゴリー/わたくしごと

完全なワタクシゴトのエントリーです。
しかも、長文です。ごめんなさい。




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翔ちゃんのお誕生日を綴ったブログを更新した数日後。。。

大阪の姉からの突然の連絡。



『母が入院することになる』


『えっ?!』

『どうやらガンみたい…』

『マジで?!』


…………


その時の連絡では、疑いがあり検査をして悪性かどうかを調べるとの事。


検査の結果は……やはり、悪性。
即入院となり、取り急ぎ私も大阪へ。

先生から、

『自覚症状は無かったようだけど、進行ガンです。』

淡々と状況と手術内容の説明が
母本人を交えて、姉・私3人に伝えられた。

父の時は本人に告知することが無かったので
母に躊躇なく告知する事に驚きを隠せない……。

私達姉妹の前では気丈に振舞う母だったけど、
そのショックは、どれほどのものだろう…と、漠然と思った。

病院の面会時間は、夜の8時まで。
否応なく帰宅せざるを得ない状況。
今夜、母は眠れないだろうな……。

仕事がある姉は夕方以降でないと面会には来られないので
翌日の朝からの面会は私1人…。
開口1番、何を話せばいいのかな?

結局、『寝れたの?』 の一言だけ。

『ううん…』想定どおりの返事。そりゃそうだよね。

消灯時間の早い入院生活。
暗い中1人になり、考えないわけがない。


『とりあえず私は1日いるから、少し寝るといいよ』

『ありがとう』 そういって目を閉じたけど、本当に眠れたのかどうか…。


姉と母は、父が亡くなってから同居している。
実の親子ということで、どちらにも遠慮がなかったのだろう。
姉と母は、度々衝突していて、
離れて暮らす私には、あまりいい関係でなかったように見えていた。

そんな状況だったので、娘が生まれてからは
毎年年末年始を、東京で過ごすようになっていた。

『今年はいつ来られそう?』

去年の11月半ばに連絡をしたとき、

『仕事のシフトが決まってないから、月末にでもまた連絡するね』

そう言っていた母だったのに、12月を過ぎても連絡がなく
クリスマス少し前に連絡したら

『今回はやっぱりやめておくわ』 と、寂しい返事。

我が家は義母と同居している事もあり、
毎年義母は義姉(義母にとっては実娘)のところに泊まりに行ってくれていたので
私の母が今年は遠慮しちゃったんだな…と、あまり深く考えていなかった。
今思えば、その頃は体調が悪かったんだろう…。


見た感じは寝息を立てていて、少し眠れてよかったな…と安心したのも束の間。
看護師さんに起こされ血圧や体温の測定。
仕方がないとは言え、もう少し寝かせてあげてて欲しい。

検査入院の日から絶飲食を強いられている母は、
入院時の唯一の楽しみともいえる食事がないため、
寝るかテレビを見るかの2択。
一応入院goodsとしてありがちな、クロスワードパズルの雑誌を持参したので
やる?と聞いてみたら、やる!! と。
私も一緒に考えながら、少しの時間紛らわすことができた。

今はまだ手術前だし、顔色もいい。
本人にも痛みなどの自覚症状がないので
本当に母は病人だろうか? と錯覚してしまうほど
見た目には元気な母だった。
ただ、鼻から通されたチューブと、24時間繋ぎっぱなしの点滴が
やはり健康ではないんだと認識させられる。

『疲れたから少し休むね』

そう言って、また少し横になった。


その間に、お昼を食べたり病院内にある相談室のような所へ行き
大切な人がガンになった時…という小冊子を見つけコピーしてもらったり
というような細々とした事をこなした。

病室に戻ってもまだ眠っていたので、ホッとした。

その後は、たわいもない話をしたり、テレビを見たりで
なんとなく時間が過ぎ、夕方になって姉が来た。

姉は新しい着替えを届け、母から持ち帰る洗濯物を預かったり
なにかと身の周りのお世話をしている。
今までの関係がウソのようで、
そして、大阪に来たものの何にもできない(していない)自分が情けなく感じた。


手術は1週間後。
どうしても仕事が休めなかった私は
週末の3日ほどを大阪で過ごし、一旦東京へ帰る。
東京は45年ぶりの大雪で、母も姉も無事に帰ることができるかと心配してくれた。


帰宅した途端、娘が飛びついてくる。
寂しかっただろうと想像がついたけれど、
大阪のおばあちゃんの状況を説明し、
週の半ばからまた大阪に行くことを話した。
私も娘も仕方ない事だと、割り切るしかない。

手術前日。
先週末私がいなくて寂しかった娘から、『一緒に寝てね』とお願いされた。

手術当日。
お昼からの手術という事で、朝早い時間の新幹線に乗るべく4時半に起床。
なのに昨夜はなかなか眠れず、寝てもすぐに目が覚めた。
私も緊張していたみたい。

一緒に寝ていて起こしちゃったのか、すぐに娘も起きてきた。
学校までまだ時間あるから、もう1度寝れば と伝えても
眠くないから…と、私に付き合ってくれた。
5時半過ぎ、出掛ける私を、娘とそして夫も見送ってくれた。
ありがたい家族を実感しながら、新横浜まで向かった。
11時少し前に病院に着いた。姉は既に病室に来ていた。

手術前に母の顔を見ることができて、まずはホッとした。

先週の先生からの説明の中で、手術時のリスクについてもお話があり
最悪の事態も少なからずあることは頭にあったので
顔を見て、会話ができたことに素直に喜んだ。

予定が少し早まり、手術開始時間が30分前倒しになった。
早めに着いて、本当によかった。

驚いたのは、ベットに乗って手術室に運ばれる
ドラマに出てくる風景ではなく、看護師さんと歩いて手術室まで向かった事だった。

手術が終わるまでは別室で待っているように言われ
看護師さんと母は自動ドアの中へと進んでいった。


予定は3~4時間の手術。
姉とヤキモキしながらの時間が過ぎた。
私がトイレで席をはずしていた時に連絡があり
戻ってすぐに手術室へ行く事になった。

すごいタイミングだな……

こんな時に意外に冷静な自分がいたことにも驚いたけれど
手術室で何を言われるんだろうと、不安で姉と顔を見合わせた。


手術室では、

無事に手術が終了した事。

予定通りの切除で済んだ事。

そして、今まさに切除した病巣部分を見せられた。

母は麻酔から覚めるまで、すぐには病室に戻れない事の説明を受け
私達はまた談話室に戻ることになった。

姉の職場では、母と同じ病気の方が何人か居て
術後の様子などいろいろ教えてもらっていた事を、今度は私に説明してくれた。

術後1時間ほどして、母が病室に戻ったと連絡があり、すぐに向かった。

『まだ麻酔の中で完全に覚醒してはいないです』
『術後は2・3日発熱が続きます』と説明を聞きながらも
朦朧としている母に声を掛けてみた。
ぼんやりとしている中でも、私達の声は届いたようで
酸素マスクをしながらも頷いてくれた。
とりあえず意思の疎通ができたことに、単純に嬉しかった。
ただすぐに、発熱の影響なのかブルブルと震えている母の姿はいたたまれなく
自然に涙がこぼれてしまった。

夜、仕事を終えた姉のご主人が来てくれた。
私達は術後に、先生から説明を受けていたのにもかかわらず
2人とも説明ができなかったので、もう一度先生にお願いして
義兄さんにも母の様子を説明してもらった。

予定通りの切除で済んではいるが、隣接するリンパ腺にグレーな部分があるので
病理検査にかけ、診断内容によってその後の治療方法が決まると
かなり重要な内容を聞かされた。
診断時間は約2週間かかるそうだ。
術後の合併症のリスクも2週間程度。
無事に手術は成功しても、まだまだ心配は尽きない・・・。



翌朝、私が病院に着いた時、母は看護師さんと一緒に歩行練習していた。
癒着を防ぐ為、翌日から歩いてもらいますと先生から聞いてはいたけれど
まだ熱も下がりきっていないのに、本当に歩かせるんだ。。。
今後の身体を思えば、無理をしてでも歩いたほうがいいらしい……。
ほんの10メートル程だけれど、頑張る母。
強く気丈な人だと感心する。母はやっぱり偉大だ。
歩行練習から戻った母は、着替えたいと術着からパジャマに着替える事にした。
術後の傷口の事や、簡単に動かしていいのかもわからなかったので、
看護師さんに着替えをお願いした。
私の前で着替える母の姿に、また驚いた。
開腹した傷口がむき出しになっている。

私が虫垂炎の手術をした時は、傷口にはガーゼが貼られ毎日消毒という
一連の作業があったのに…。

『ガーゼ付けなくていいんですか?』


『今は時間と共に溶ける糸を使って縫合し、更にボンドのようなもので傷口を塞いでいるので大丈夫なんですよ』

と、看護師さんは説明してくれた。

歩いて手術室へ向かうこともビックリだったけど、今回もまたビックリする出来事だった。



術後2日目からは、歩行練習の距離もちょっとずつ長くなり
熱も徐々に下がって、痛みも幾分和らいできたらしい。
術後3日目には飲むことが許され、お水だけは飲めるようになった。
なんとも不思議だ。
ほんの3日前までチューブまみれだったのに、今は点滴の1本だけ。
顔色もイイし、パジャマ越しでは痩せたことも分かりづらく
とても大手術をしたとは思えなかった。

病理検査の結果と合併症や後遺症の不安はまだあるけれど、
とりあえずは目に見える回復の兆しに、素直に喜べる。
あとは徐々に食事ができるようになること、傷口が癒えること。
退院を迎えるまで、私の出番はなさそうだ。

3月後半、春休みの頃には退院できているかな?
春休み、娘を連れてまた大阪に来るね  と母に告げ
2週連続で降り積もった雪の中、家路に着いた。


帰宅中メールが届いていた。
母からだった。

『無事に着きましたか?何度も来てもらってゴメンネ。ありがとう。顔見られてどれだけ安心したか。本当にありがとう。ご主人、お義母さまにも宜しくお伝え下さい。』

自分の事より、私や家族の事まで心配してくれていて
親孝行ちゃんとしなきゃなと痛感した。



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3週間ぶりに更新したブログが
アラシゴトには全く関係なく、しかも重い内容で失礼しました。

こんなに事細かく記す必要はないし
逆に、読んで下さった方にご心配をおかけする事になるのにね…。

でも、とりあえず一段落ついて一安心している所です。
たまったアラシゴトも消化して、私も通常をこなしていかないとね。
当事者でない私が落ち込んでも仕方がないし
なにより頑張っている母に負けてられないですから。

バタバタしていた中、先週ブログ開設2周年も迎えていました。
のんびり更新のブログですが、ときどきUPするので
また遊びに来ていただければ嬉しいです。


ぐったりぱんだ